
眞子内親王殿下のご成婚に、まずは国民の一人として祝意を表したいと思います。心から幸せになってほしいと願います。いま私も2人の小さな娘を持つ父親の気持ちに立つと、秋篠宮殿下・同妃殿下もきっと、また、佳子内親王殿下のあの抱き合った姿を見るに、ただただ娘に、お姉ちゃんに幸せでいて欲しい、そんな気持ちだろうと想像します。
さて、しかし国民の皆さんの中には、何か腑に落ちない気持ちがあるのだろうと思います。なぜそう思うのか、その感情は正しいのか、少し憲法の観点から整理してみたいと思います。
1 眞子内親王殿下の人権について
戦前の家父長制の反省から、戦後、新しい憲法の下で、婚姻は「両性の合意のみの基いて成立する」(憲法第24条)と定められました。つまり、両者が愛し合って合意さえすれば、他の一億全国民が反対しようとも、婚姻する権利が認められたのです。これは画期的なことでした。恋愛結婚をした私も含め、気づかないうちにこの条文による幸福を享受している国民は多いはずです。
ちなみに、男性の皇族方は、この人権が制限されています。皇室典範第10条によると、男性の皇族方が婚姻する場合、総理大臣をはじめ三権の長などで構成する皇室会議という会議にかけなければならないことになっています。これは、単なる婚姻に止まらず、皇室の品位を守り、日本国家の品格を守る必要があるためです。
他方で、女性の皇族方の婚姻に関しては、国民と同じ憲法第24条が適用されます。
したがって、誰が反対しても、眞子内親王殿下と小室圭さんの婚姻は、法的には、他人が口を挟むべき問題ではありません。ただ静かに婚姻を見守るというのが、憲法の予定することです。おめでとう、お幸せにと言ってあげてください。あとは本人が決める問題です。
2 婚姻に関する批評について
さて、眞子内親王殿下の婚姻はしかし、小室圭さん側の様々な問題があり、その素行も含めて、国民の議論を喚起しています。
これは、眞子内親王殿下が公人だからであり、公人は公的な存在である以上、批評の対象となることが予定されており、民法上も、①公共性、②公益性、③真実性の3つの要件を満たす限り、民主主義社会における正当な論評として認められているものです。眞子内親王殿下の辛いお気持ちはお察し申し上げるのですが、上記を満たした公正な論評に対しては耐えなければなりません。皇籍離脱後も、公的活動が予定されている以上は、同様の存在として扱われます。
私たち政治家や芸能人が公人として扱われるのは、自らの意思でそうした存在になっているからであり、公人としての批評もその副産物として受け止めざるを得ません。
しかし、皇族方は生まれながらにして、自分の意思と関係なく公人になるわけで、この辛さは想像を絶します。「ただ一人の女性として結婚したいのに、どうして私はバッシングされなければならないのか」とお思いなのだと思います。その辛さを皇族方が抱えてきたこと、同じ憲法の下で、人権の制限された私たち国民とは異なる社会で生きざるを得ない人たちの幸せに、私たち国民はどこまで寄り添ってきたでしょうか。
天皇陛下が当時記者会見で言及した、雅子妃殿下に対する対応を想像するとき、私たち国民は、またあの時と同じことをしていないか、はっとさせられるのです。
3 理知的な日本国民として
私たち国民は、今回のことを通じて、眞子内親王殿下の婚姻には祝意を示しつつ、この間起きた課題について、「制度としてどうあるべきか」ということを切り分けて議論することが正しい道なのではないかと考えます。つまり、個人の人権と制度としての改善議論を切り分けて議論するのです。
「結婚反対」ではなく、「眞子内親王殿下おめでとう」「皇室制度を改めて考えよう」というのが、理知的な日本国民のあるべき姿ではないでしょうか。
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